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Channel: 「日本在来馬」歴史研究会
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Ⅷ:トカラ馬ー号外 石和八幡宮流鏑馬神事 甲斐駒流鏑馬

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 建久3年(1、192年)、石和五郎信光(武田信光)が、鎌倉幕府創建における功績により、甲斐国河東半国の守護となり、石和に政庁として居館を構えた際、鎌倉鶴岡八幡宮を勧請合祀し、甲斐源氏の氏神として、国衙八幡宮と改め後に石和八幡宮と称した(祭神:天足彦押入命・日売大神・稚城瓊入彦命)
 甲斐源氏一門の崇敬厚く、正治2年(1,200年)より永正16年(1,519年)に武田信虎が甲府躑躅ヶ崎(てきちょくかさき=つつじがさき)に居館を移すまでの320年間、弓・馬に秀で将軍や執権北条氏の指南役を務めた。
 武田信光の武技に因み、甲斐源氏一門の射法相伝の儀式は当社で行われた。

 上記の先例にならい、4月3日の「例大祭」の最初の日曜日(今年は4月2日)に、甲斐駒流鏑馬をご奉納した。

流鏑馬奉納奉告祭
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  奉行:「流鏑馬はじめそうらえ」    神事、1の射手:「承りそうろう」

1:蟇目放射
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  矢の先に鳴鏑(なりかぶら)を付け、45度の角度で放射。ピューと鳴って「2的」と「3の的」の上空を放射線上に飛んだ。

2:口上流し旗
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  「流鏑馬奉納仕り候」と声高らかに、走路を往復。

3:馬上舞(神楽鈴)
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 馬上舞(扇)
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 神職によって清められた走路を、「神楽鈴の舞」と「扇の舞」で、更に本日の流鏑馬神事の安寧を願うとともに、鞍から尻を透かして乗る、「和式馬術」の始まりである。

4:流鏑馬神事
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 3人の神事射手は、頼朝が富士山麓で狩りをしていた時に着用していたと伝わる装束姿で、流鏑馬を行う。
 直垂若しくは水干に、頭は、後三年烏帽子の上に綾藺笠を被り、両手は白皮手袋。左腕に射籠手、腰には鹿の夏毛で出来た行縢(むかばき=狩り場に木々の枝などがあったときに、装束や腰下部分を守る)。太刀と脇差を佩帯し、右腰に、箙(えびら=矢を納めるもの)を付けている。

5:平騎射
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 平騎射とは神事射手とは異なり、後三年烏帽子・直垂若しくは水干のみの装束で行い、以上までが神事である。

是より馬上武芸
イ:5色の流し旗
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  ロ:先導付き流鏑馬(初心者が速足で、2的を打つ)
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 ハ:薙刀の演武
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 二:弓手下(ゆんでした=左下に矢を射る)
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 ホ:弓手横・追物射(ゆんでよこ・おものい=左真横射と左前方に矢を射る)
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 へ:追物射
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 ト:押捩・追物射(おしもじり=上半身を左後方に捩り矢を射る・おものい)同時打ち
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 チ:蟇目(3人の射手が同じ姿勢を保ち、次々に矢を射、残像までを見せる)
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 ツ:長巻の演武(南北朝期頃から使われ始めた刀で、柄と刀身がほぼ同じ長さ)
    ※著者の持つ長巻の銃砲刀剣登録証には「なぎなた」とある)
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 「長巻持てい」と供に命じる。
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                    圧巻の演武

 テ:馬手下(めてした=馬の首を跨ぎ弓を右側に構え射る)
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 ト:鑓(長さ約3.3m)

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      お見事!(女性です)

 チ:馬手追物射(めておものい=馬の首を跨ぎ、弓を右側に構え、前方に矢を射る)
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  ※(5世紀の高句麗古墳壁画には、弓を右手に持ち矢を射る姿が描かれている)


       協力           石和八幡宮
                     紅葉台木曽馬牧場
                     甲州和式馬術探求会

       写真提供         林 佳夫氏


                                    鈴木純夫



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