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昨年、東北歴史博物館の展示品に宮城県から5世紀の馬具があり、学説で言われている「朝鮮半島ー九州ー瀬戸内海ー河内」以外を検討証明しなければならない旨を掲載した。
新潟県・富山県・石川県・福井県の各県立歴史博物館と各埋蔵文化財課に問い合わせたところ、福井県の若狭町歴史文化館に「馬具の展示」があることが分かり、先月取材に応じて頂いた。
学芸員の方の説明と図録やパンフレットによる古墳の形態・土器類・馬具類・武具類・副装飾類などから、河内を経由せず対馬海流に乗り又は日本海を縦断しこの若狭の地に、馬を連れた渡来人が来た「日本海沿岸ルート説」に迫ってみようと思う。
(館内の展示品は残念ながらブログへの掲載は固く禁じられたため、写真掲載は韓国の歴史について書かれた書籍から引用する)
図録・パンフレットから古墳の形式
上ノ塚古墳
(国指定史跡)
若狭地方で最初で最大規模の古墳。
若狭が東アジアの表舞台に登場したことを告げる前方後円墳と言える。
西塚古墳
(国指定史跡)
石室からは、金製耳飾・鏡・金銅製帯金具・銀鈴・銅鈴・馬具・冑(かぶと)など多彩な副葬品が発見された。
中塚古墳
(国指定史跡)
この3基の前方後円墳は、いずれも平地に造られ、表面には葺石・埴輪を備えて盾形の周濠がめぐっている。また周濠外周斜面にも葺石を有し格の高さを見せている。
「図説 韓国の歴史」から 館内の展示品と酷似の物
鐙と轡
金銅製の冠
短甲と冑(かぶと)
金製垂飾付耳飾
5世紀に、東アジアの文明の中心地「中国」に朝貢した文書から、「倭(日本)の五王」の名前が出てくる。
「讃・珍・済・興・武」である。 現在該当すると考えられているのは、讃=応神天皇(在位270~310年)・仁徳天皇(在位313~399年)・履中天皇(在位400~405年)、珍=反正天皇(在位406~410年)・仁徳天皇(在位313~399年)、済=允恭天皇(在位412~453年)、興=安康天皇(在位453~456年)、武=雄略天皇(在位456~479年)の7人の天皇であり、413~478年の間に少なくとも9回にわたり中国南朝に使いさせ、貢物を献じていた。
その目的は当時興隆しつつあった高句麗に対し、朝鮮半島における倭(日本)の国際的地位を高からしめ、確立するためであった。
次回の掲載は、朝鮮を調べずして日本を考える事が出来ないと考え、「朝鮮」の歴史について 「図説 韓国の歴史」から掲載する。
引用 若狭町歴史文化館「常設展示図録」・パンフレット
図説 韓国の歴史
日本史小典
鈴木純夫