5世紀中期吉ノ内遺跡出土の轡
5世紀中期吉ノ内遺跡出土の馬鐸
吉ノ内遺跡は、宮城県角田市横倉の丘陵上にある「前方後円墳」で、全長70m・前方部25m高さ3m・後円部直径40m高さ6.5m。
捩文鏡・櫛・鹿角製刀子・袋状柄鉄斧・曲刃鎌などが出土されている。
9世紀多賀城市山王遺跡から出土した木簡
多賀城市の「多賀城」とは、平城京期の第45代聖武天皇が北方の「蝦夷(えみし)」を制圧するための軍事拠点で、神亀元年(724年)按察使(あぜち)・大野東人(おおのあずまんど)が柵として築城したのが始まりである。
多賀城碑
天平宝字6年は西暦762年で第2期のものであり築地塀に囲まれ、正殿などが整備された政庁である。
5世紀の「轡と馬鐸」が出土した角田市は、「木製輪鐙」が出土した仙台市よりもかなり南に位置するが「鉄剣」も出土しており、「騎馬」としての利用を想像してしまう。
前回に5世紀は「河内」に「家畜馬」が朝鮮半島より移入したばかりであると掲載したが、この時「家畜馬」のみならず「騎馬」として調教された「馬」も同時に移入されたのであろうか。
しかし、「河内」と「北辺のこの地」は余りにも距離が在り過ぎる。
多賀城を合わせて掲載したのは、聖武天皇の時代ー平城京ーは南に大宰府を置き、朝廷の意に背く「隼人」の存在があったからである。
9世紀の「木簡」により、既にこの地に「名馬」がいたことが分かる。
協力 東北歴史博物館
鈴木純夫