宮城県仙台市の「藤田新田遺跡」から発掘された「5世紀」の木製鐙
藤田新田遺跡は、JR長町駅の東方約10.5㎞に位置し、標高1m前後の浜堤列と後背湿地に立地する。
古墳時代と平安時代を中心とする集落遺跡で、浜堤列を居住域(竪穴住居・土坑・溝)とし前期には方形周溝墓をともない、平安時代では、浜堤列を居住域・後背湿地を水田域とする土地利用が行われた。
これまでの掲載で家畜された「馬」の移入は、一貫して4世紀後半~5世紀頃朝鮮半島から「東シナ海ー九州ー瀬戸内海ー河内湖畔(現在の大阪府四条畷市あたり)」とし、「馬」の放牧に適した「東国」へと進んで行ったと紹介してきた。
しかし、10月2日に宮城県多賀城市にある「東北歴史博物館」を訪れ、宮城県仙台市の地に「5世紀」の木製鐙を見る事が出来た。(片方だけで「馬」に乗る時にだけ使用したと思われる)
「鐙」があると言う事は、河内湖畔以外にも既にその他の地に「馬」の移入がなされていたと言わざるを得ないことになる。
平成7年に富山県が作った逆さ地図
上記の地図から分かる様に、「日本海」はユーラシア大陸と日本国との間に於いて「内海」の様を呈しているいるように思われる。(4~5世紀はもっと「日本海」は狭かったか?)
北朝鮮による日本人拉致が「日本海岸」沿いに集中していることを思えば、大陸の地から「日本海」を縦断して「日本海岸沿いの地」に、「点」として「馬」の移入がなされ、その地とか河川を上流したりして「馬の放牧」が行われた事を、検めて考察しなければならない。
協力 東北歴史博物館
鈴木純夫