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Channel: 「日本在来馬」歴史研究会
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Ⅶ:北海道和種馬ー馬匹の改良②東洋一の新冠牧馬場を整備②

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 黒田清隆:明治7年(1874)8月~15年2月の間、開拓使長官となったが北海道には赴かず在京。
        明治21年(1888)4月30日~22年10月24日、第2代内閣総理大臣(薩摩藩出身)

 明治13年(1880)2月24日、調所広丈(ずしょひろたけ)大書記官は黒田清隆長官へ、エドウィン・ダンの要請にもとづいて新冠牧馬場の整備を伺い出たが、「明治13年からは太政官・大蔵省などの通達で、国内産で間に合う物は一切輸入を禁止されているので先に提出した伺書はそのまま返却する。馬の払い下げ代金は税外収入であり、種馬購入の際は新たに予算を組んで請求されたい」と、7月22日付で東京出張書記官から本庁書記官へ厳しい回答が送られてきた。

 同年6月23日 札幌本庁管下新冠牧馬場出産の土産馬の価格増加に係る件
  新冠牧馬場において出産した土産馬のうち、本年200頭を競売するよう電報があった。それは当牧馬場の都合であるが、北海道の馬は四蹄は堅固で一日中使役しても疲労せず、馬車や競争等に使用しても駿健の称誉あり。常に有名なる薩摩産馬と拮抗して価額が増加するのは、真に末頼もしい次第である。
  これからは精選と馴練に注意すれば、運賃が掛っても東京へ輸送して売却しても多少の利益があるからなお一層、骨格・感性の上等な馬を精選して移出し、名声を上げるようにされたい。

 同年8月13日 エドウィン・ダン、調所広丈大書記官へ再度新冠牧馬場整備事業に必要なアメリカ製農機具購入の申し出た。

 同年9月13日 札幌本庁書記官は東京の物産取扱い所長に、エドウィン・ダンの意見を取り次ぎ国内産農機具では、新冠牧馬場整備事業が不可な実情を説明した。

 同年12月下旬 物産取扱い所は黒田清隆長官へ、新冠牧馬場整備事業農機具の輸入の稟議を要請。

 明治14年(1881)1月18日 物産取扱い所長は札幌本庁書記官へ外国製品の輸入は厳しいが、雇教師エドウィン・ダンの意見もありアメリカからの農機具の輸入が、黒田清隆長官と稟議の結果許可されたと回答してきた
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  馬の体重計

 明治14年(1881)5月28日 
  エドウィン・ダン、鈴木開拓権大書記官の指示に従い、新冠牧馬場の将来の経営政策を提案する。
 1:牧場を牧柵で囲ったのは、外国種馬と交接させる母馬・仔馬を他の馬と隔離するためである。
 2:土産の牝馬と南部種馬との交接には、旧牧と山野を使用する事。
 3:牧場内外の山野に棲息する土産馬は、良く確かめて捕獲した後売却する事。
 4:5分雑種・4分3雑種種馬の改良機運が現在の北海道においては無いため、利用法を検討をすべきであ                    る。馬の使役は残忍で厳冬でも飼料を与えないし、仔馬も酷使する。これ等の馬に種馬を与える必要はないが、改良を志す者には無償提供するなどの便宜を図る事。
 5:5分雑種・4分3雑種の牝馬を積極的に繁殖に供し、土産牝馬を牧場から皆無にする事。
 6:頭数に見合う冬用厩舎が必要である。約50頭を収容する厩舎を年次計画で整備すべし。
 7:職員は50人が必要であり、その半数は有能なアイヌ人とする事。合わせて、住宅と給与に特段の配慮が必要である。
 8:耕地から厩舎への車道の整備・海岸から放牧地への車道の改善・静内川の洪水から耕作地を守る堤防を設ける事。
 9:新冠牧馬場の主任には多くの権限を与え、本庁の決済が出来ない組織の改善を図る事。
 10:単位年度予算を止めて、事業が4~5年継続可能な予算を組めるよう改善すべし。
 11:西洋種馬の不慮の事故を考慮して、3頭~4頭を常備する必要があり内務省の牧場からの割譲・アメリカからの輸入を希望する。
 12:現有農機具は不十分でかつ破損が多い。農機具の不備は農作業の妨げになるため、堅固な農機具を確保すべし。
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   二十間道路

 明治15年(1882)2月1日
  開拓使廃止
   新冠牧馬場は農務省所管となる。

  明治17年(1884):宮内省所管。
  同21年(1888):新冠御料牧場。皇室用の乗馬・輓馬の生産をはじめとし、交通運搬用や農耕用の大型    馬匹の改良・生産を行い、戦時には軍馬の生産も行われた。
  昭和22年(1947):農林省に移され「新冠種畜牧場」となる。
  同24年(1949):馬の生産を廃止し、乳牛の品種改良研究を行う牧場に転換され、現在「独立行政法人家畜改良センター新冠牧場」となった。


 同年6月30日
  エドウィン・ダンの引き継ぎ目録
 1:新冠牧馬場目録
  新冠牧馬場面積:20、596,789坪=約6,865ha
         代金:10、298円39銭4厘(現在の価値に換算出来ず)

  開墾地:約30万坪=約100ha
     内訳
       墾成地:100,700坪
         代金:674円69銭
       荒地:90,300坪
         代金:95円15銭

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 2:建家目録
   イ:事務所1棟、桁間:4間  梁間10間
          代金:1,358円26銭9厘
   ロ:生徒舎1棟、桁間:4間 梁間10間
          代金:1,358円26銭9厘
   ハ:西洋種馬舎1棟、桁間:3間 梁間:8間
          代金:198円65銭9厘
   二:その他建物8棟
          代金:2,311円83銭
   ホ:本厩舎1棟:378坪
          代金:4,505円7銭
   へ:2号厩舎1棟:148坪5合
          代金:2,352円9銭
   ト:1号厩舎1棟:156坪7合5勺
          代金:2,150円

 3:新冠牧馬場係人名簿
    旧開拓使農業一等卒士~雇大工   合計28名

 4:新冠牧馬場の馬目録
    イ:牧馬=559頭
      牡馬:117頭  代金:6,235円
      牝馬:442頭  代金:12,610円
    内訳
     イ:西洋種馬:3頭牡 代金:1,500円  (500円)
     ロ:2回雑種馬:9頭
             牡:5頭 代金:600円   (120円)  
             牝:4頭 代金:400円   (100円)
     ハ:1回雑種馬:70頭
              牡:22頭 代金:2,200円  (100円)
              牝:48頭 代金:3,840円  (80円)
      二:雑種馬:32頭(1回雑種の牡を土馬牝馬に交接し分娩した馬)
              牡:14頭 代金840円  (60円)
              牝:18頭 代金:900円  (50円)
       ホ:退却雑種馬の牡:2頭 代金:70円  (35円)
       へ:内国種馬:443頭 
              牡:73頭 代金:1,015円  (15円)
              牝:370頭 代金:7,400円  (20円)

 5:農牛馬目録
   1:耕馬牡:19頭 代金:570円  (30円)
   2:耕牛牡:3頭 代金:150円  (50円)
   3:駄馬牡:131頭 代金:2,620円  (20円)

 6:牧豚目録
    牧豚:20頭
      牡:12頭 代金:72円  (6円)
      牝:8頭 代金40円  (5円)

 7:その他目録
    1:新冠牧馬場農業機械目録     合計70種
    2:新冠牧馬場農業備品目録     合計96種
    3:新冠牧馬場農業馬具目録      合計14種
    4:乗馬具並びに種馬付属品目録   合計:44種
    5:消防機械目録             合計:5種
    6:鍛冶道具目録             合計:11種
    7:大工道具目録             合計18種
    8:薬品目録                合計:94種
    9:爪髪道具目録             合計:6種
    10:用度品目録              合計:6種
    11:書籍目録                合計:66冊    

  以上の様に、エドウィン・ダンは明治6年(1874)に開拓使顧問兼御雇教師頭取ホーレス・ケプロンの部下として、アメリカ・オハイオ州から農業教師として来日し、明治8年(1876)から開拓使に在職中は、唯一人の獣医師として自ら診察・治療に当たり、農業現術生徒を指導し、短い年月で北海道の馬匹改良の一大事業をなしえたのであり、彼失くして現在の北海道の馬産は有り得なかったと考える。



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  明治10年(1878)エドウィン・ダンの指導で札幌育種場内に楕円形競馬場が完成し、同11年(1879)より使用し、同14年(1882)には再整備を実施し、天覧の近代競馬が行われた。


  ※当初、彼は1年契約であったが延長され、日本人女性と結婚し、83歳で亡くなった。
   ひ孫にあたる方2人が音楽家として活躍されている。



      引用          御雇教師 エドウィン・ダン   北海道の馬事の礎を築く
                   日本史小典



          鈴木純夫                  
           
  


 

 

 

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