図ーA
高句麗・百済
新羅・伽耶
図ーB
高句麗・百済
新羅・任那
今更ではあるが、本ブログは出来得る限り、現地直接取材・体感取材を軸に掲載することに努めているが、現在掲載中の朝鮮半島に行く試みはしたのだが、下記の理由により行くこと無しに掲載をしてしまっていることを読者の皆様にお詫びしたい。
・2年ほど前に筆者の甥が、韓国N電工SOLUTION CENTER/center長で、5年ソウルに駐在しており、ハングルでの会話・読み書きが出来るため、通訳として韓国南西部(旧百済・伽耶地域)を4日間案内して欲しい旨を伝えたところ「その他の地域なら良いが、僕のハングル能力では行かない方が良い」と丁寧な断りの説明があった。
はじめに
筆者(昭和27年ー1952年生まれ)が受けた朝鮮半島の4国は、図ーBの「倭王権による任那日本府を通した植民地収奪・朝鮮半島侵略の結果」の教育であった。
しかし、「任那」が「伽耶」に変わった図ーAは、1980年代以降に韓国の研究者だけでなく、日本の一部の文献史学者によって、「任那日本府」が6世紀前半、一時的に咸安(はまん)の阿羅伽耶に派遣された倭の外交使節が滞在した「倭臣館」のようなものであった事が明らかにされたり、考古学の面からも「鉄製甲冑や馬具・金銅製の装身具の出土品から、日本列島で独自に発展したと考えられてきた文物が、朝鮮半島に起源を持った事が確認されたり、鉄製甲冑が出土したことを契機として、伽耶地域に日本列島文物が移入された可能性が提起された。
3~4世紀日本列島から出土した、金官加耶産の文物
4世紀金官加耶地域から出土した、日本列島産文物
5世紀後半日本列島から出土した、大加耶産文物
5世紀後半大加耶地域から出土した、日本列島産文物
それは、伽耶と倭の文物と人の移動が、一方通行ではなく相互的であったことを示していると思われることから、図ーAが現在の教育の現状であることと理解する。
(筆者が、開放講座聴講生として通っていた大学の書籍店で購入した「現在の高等学校で使用している日本史・世界史の教科書」は、図ーAである)
一方、未だに古代日本人の居留地、交易の中心であり朝鮮半島中南部を軍事的に押さえる要衝の地と考え「任那日本府」説をとなえる研究者は、「現在の高等学校で使用している日本史・世界史の教科書」を否定し、「日本書紀」・「古事記」・「魏志倭人伝」・「三国史記」にもとずき推論されたり、筆者が「高句麗」で掲載した「日本陸軍軍部」が意図的に加筆・修正された、「広開土王碑」に「任那」の刻字があることに頼っておられるように思われる。
但し、「任那」が一国としての体裁が最後まで整わなかったと述べておられる点については、「伽耶」にも同じことが言える。
本年は「伽耶」と、「任那」説があることに触れただけで筆をおき、建国から滅亡までは来年掲載させていただく。
引用 図説 韓国の歴史
加耶と倭
韓国歴史地図
海を渡った日本文化
中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史
知っていますか 任那日本府
詳説 日本史B
詳説 世界史B
日本書紀
※
平成28年11月7日発行
筆者が「甲州和式馬術探求会」の解説を入れ、著作者に「和式乗馬術」を説明するため、乗馬方法を記した、「騎術藻塩草ーのりわざ もしおぐさー全854首」の中から、20首を選び提供した。
平成28年7月30日(土)に、山梨県馬術競技場で行われた、「第38回八ヶ岳ホースショーin小淵沢」で演武を披露する、「甲州和式馬術探求会」の会員 P26~29に記載あり。
引用 サムライの筋肉が疼く 「スポーツ流鏑馬入門」
協力 紅葉台木曾馬牧場
甲州和式馬術探求会
写真提供 林 佳夫氏
現代美術家協会中部支部長・田中敏夫氏画
来る年が、愛読頂ける皆様におかれまして、健やかで、幸多からんことを祈念いたします。
平成28年12月31日
鈴木純夫