賀茂神社創建1,275年式年大祭 流鏑馬神事
滋賀県近江八幡市加茂町1691番
賀茂神社由緒
元正天皇(在位715~724年)の養老元年(717年)下道朝臣吉備らが近江国蒲生郡船木荘中小路村に下って社地を選び奏聞。
聖武天皇(在位724~749年)天平8年(736年)社殿を創建、賀茂大神を鎮祀した。皇室の尊敬が厚く、武門・武将の崇敬も深かった。
なお賀茂荘と称し荘園内の氏神として一般の信仰を集めた。
賀茂神社正面
拝殿
「流鏑馬神事」と「馬上武芸」
走路を囃太鼓を先頭に、演武者・使役全員での行列行進。
走路の安全を祓う「馬上舞」 羽衣が流れ見事なバランス力が分かる。
正装の神事射手は「扇」に「神」への尊厳を託し、大きな所作の後、天高く投げ放ち出走する。
1の神事射手、見事に一の的的中し紙吹雪が舞う。
2の神事射手、二の的的中し紙吹雪が舞う。
3の神事射手、二の的的中し同じく紙吹雪が舞う。
平騎射、「5寸扇で、直径1寸5分の赤い図星」の真ん中を的中させた超難度な技術。
駆け足による馬上舞 安定した見事なバランス力である。
3騎による「じぐざく走法」の流し旗。狭い走路を体重の移動でバランス良く乗っている。
弓手追物射(ゆんで おものい) 弓手とは「左方」を言い、前方の敵を射る。「的中」
押捩(おしもじり) 後方よりくる敵に、体を左後方に大きく捩り矢を放つ。「的中」
追物射・押捩の同時打ち 高句麗の5世紀古墳壁画に見られる。「両者とも的中」
弓手下(ゆんで した) 獲物又は草村に潜む敵を射る。高度な技術が求められる。「的中」
馬手追物射(めて おものい) 馬手とは「右方」を言い、弓を馬の首を大きく跨ぎ射るもので、高度な技量が求められる。「的中」
馬上での薙刀(約6尺7寸)の演武 薙刀の重さがあるため、力とバランスが求められ難度が高い。
長巻(約5尺4寸)の演武 刀の半分程が柄で、供の物を引き連れ、抜くやいなや「押し通」の声と共に大きく振りかざす。
3騎が「満月の形」で構え、1の射手・2の射手・3の射手が連射し、「パン・パン・パン」と見事に的中させ、復路では「捧げ弓の形」で馬場元に戻る。
以上が、観客200名程の中で行われた大祭の、「流鏑馬神事」と「馬上武芸」である。
※神事射手とは、直垂(ひたたれ)・水干(すいかん)を着て、頭に後三年烏帽子の上に綾藺笠、両手に白の手袋、左腕に射籠手、腰に夏鹿の毛皮で出来た行縢(むかばき)を履き、左腰に太刀と短刀・弦巻、右腰に箙(えびらー矢の入れ物)を着用している。
(この出で立ちは、一説に源頼朝が富士の裾野で狩りをしたときに使用していたものだと言われている)
※直垂・水干は鎌倉時代の装束で、現在の着物の原型とも言われている。
引用 全国神社名鑑
協力 賀茂神社1,275年実行委員会
紅葉台木曽馬牧場
甲州和式馬術探求会
写真提供 林 佳夫 氏
鈴木純夫