放牧地より野馬追いにて構(かこい・下図)に入れた馬の中から、良馬を選び捕縛している様子。
構(かこい)の広さ:約3,000坪 堤の高さ:約6.06m 木戸の幅:約5.46m
友人から貰った古書の中に入っていた「厩馬新論」に、江戸時代後期の駒取りの様子が書かれており、挿絵で説明されている部分のみを、自身の読み下しで紹介する。
文化3年(1806)龍山堂主人著で、馬の飼養法・調教法・給餌などについて書かれている。
小金内野(現在の千葉県松戸市小金町・古代より千葉県には多くの牧があった)などの牧にて
野馬を採るには、秋は9
月おそくとも10月の中頃
までを以ってす。すべて
日は定らず。勢子のもの
諸方より追出し、3日
めにこれをとるなり。
勢子は近郷の農民に
役をおうとし用うる
なり。3日があいだは
家へかえるいともなき
ゆえに、皆々蓑と弁当
を背負い、杖を手に持って
追いあるくなり。騎馬の
牧子5~7輩(ともがら)、勢子とともに
追廻し、堤を築立(つきたち)を構へ
たるところ近く漸(しだい)に追来
りて、木戸の内へ馬を追入
るなり。広き野原より
小さき木戸のうちへ。
なかなか多くの
野馬の入べき
ようにとおもはれ
ぬを、とかくして
一所へ集め牧子
の馬、やがて先
木戸のうちへ
駆入れば
野馬数百
匹それに
つづきて
走りこむ
なり。
大かた
四五百匹
以上も入
たらんと
おもうところ
に木戸の扉
をうちてそれ
よりしばらく
憩い。ややありて
第一番の法螺貝
の音とともに
人々うちより、
二番の貝ふくにて
役がかりのもの
居並び、三番の
貝にて右の方
より馬を追出し
あちらこちらと
逃げ廻るを大勢声
あげておい
にらむるなり。歩
立(かちだち)の牧子は竹
の先へ紐にて
輪をつけたるを
持ち出しよきほどを
みて馬の首へ
うちかかるを
合図に
野馬役
かけよりて
先一人馬の頭へ
とりつき、右の手
にて馬の両足
をすくいながら
転ばは倒すなり。
それから皆
立かかりし脚
を結い口へ長き
縄をつけ、尻へ
焼印をして
前の木戸へ引
出し、酒々井(現在の地名不明)の
駅(しゅく)へ送るなり。
またたとい良
馬と言えしを
二年子なれば
焼印したるまでにて
堤の内の左のかたへ
追こみおきて、外へは
やらぬなり。春に
あるは二三月の頃
にただ一日のうちなり
とぞ。
引用 厩馬新論
鈴木純夫