2年ぶりに九州産馬について掲載させて頂きます。
九州の名馬と言えば、島津義弘の愛馬「龍白ー膝附栗毛」です。(馬上での鑓戦さで義弘が絶対絶命の窮地なった時、龍白が前足を跪いたため鑓が義弘の兜をかすめたため2度命拾いをした。そのため栗毛の龍白を膝附栗毛と呼ぶようになった。が、牝馬であったと言う軍記や伝説があるため、鹿児島県姶良市教育委員会から頂いた資料・聞き取り調査を行ったが、実像がつかめないためこれ以上触れない)
中国を支配していた「元」が日本国を手中納めようと、文永十一年(一二七四)・弘安四年(一二八一)の2度に渡り九州を攻め込んで来たとき、如何に九州御家人達が「馬を操り」果敢に戦ったかを簡略に掲載する。
そもそ「も蒙古襲来絵詞」は、肥後国矢代郡竹崎の住人で菊池氏一族内の勢力争いから排除された、弱小の竹崎季長が描かせたものである。
この戦いに季長は親族・郎党5騎で挑んだ。
元絵巻は宮内庁三の丸尚蔵館にある。奥書に作者の名前と年代が書かれている。
作者:土佐長隆・長章父子で永仁元年(一二九三)二月九日。
13世紀~14世紀のユーラシア大陸
元(蒙古人)が漢人の江南軍と高麗(当時朝鮮半島を統治)の連合軍約30,000人・軍船900艘(蒙古人は遊牧民族のため海に馴染みがないため海に近い江南軍(元によりほぼ滅ぼされた南宋・中国南部)と高麗軍の割合が多い。
鳥飼潟の戦い:流旗を先頭に果敢に連合軍に攻め込む九州御家人・白石六郎道泰その勢力百余騎
連合軍の短い矢がご覧いただける
姉婿の三井三郎質長
季長の馬が連合軍の矢に当たり流血している。
季長の馬が流血している場面の上に書かれて言葉
蒙古襲来絵詞の馬は、力強さや逞しさがみなぎっており、このような馬が作付け出来る事を期待したい。
見た限りでは体高いは130㎝程か。
逃げる連合軍
矢の長さは日本の方が長くしかも威力がある事が分かる
対峙する連合軍(楯をもっている。馬は現地から運んできたものなのであろうか。日本の馬と比べると劣るような気がするが私だけであろうか。
次回は②を掲載します。
参考文献:西尾市岩瀬文庫
鹿児島県姶良市教育委員会
参考文献
鈴木純夫